夕方に散歩をしていると、日が暮れるのが大分早くなったなと感じます。秋の虫も鳴き始めました。今日は台風が日本列島に近づいたということもあり、気温も連日の猛暑から少し落ち着いたことで、早くなった夕日と割合過ごしやすい気温とが重なり、秋が近づいているなと感じることができました。
散歩は秋からが一段と楽しくなってくるものだと思ってます。日々やわらぎが出てくる日差しが「愁い」の感情を呼び起こさせつつも、年末にむかうにつれ、せわしくなってくる世情が重なり、この相反するような現象をもたらす秋は私にとって、好奇心と寂寞感が両立する不思議な季節です。そのため、何気なく同じ道を歩いていても、早くなっていく日没とすごしやすくなってくる気候は私を物寂しくさせ、一方、年を無事に越すために頑張る人々の喧騒と共に、何かしら自分のテンションも不思議と上がっていく感覚を得て、その両方が散歩をより充実させるものにしてくれます。
「愁」という漢字には秋が含まれ、この秋という漢字に寂しさという意味が含まれているだろうなということが、素人的には連想できます。秋に感じる寂寥感は漢字圏の国だけが感じるものではなく万国共通なのだろうなというのはNorah Jonesのアルバム「The Fall」からでも推察できます。ですのでこの秋に対する寂寥感は人類共通なのでしょう。
やはり実際にそうであるように夏の熱や暑さはエネルギー的なものを想起させ、それが弱まっていく季節は何かしら、盛りが過ぎたことの諦めであったり、モノ悲しさが出てくるのでしょう。私はこの季節が一番好きなのですが、なぜそのような衰退を連想させるような季節が好きなのか少し不思議です。前述のように年末に向かう高揚感が加わることで寂しさを中和してくれるからかも知れません。
今、もうひとつ思いついたことは、逆にこの夏の暑さが、むしろ自分の耐えられる限界を超え死を連想させるものだからなのかもしれません。特にスポーツ経験者は、暑さというのがなるべく忌避すべきものであるという思いを多くの人が持っていることでしょう。
散歩の話に戻りますが、これから、軽い有酸素運動に向いてくる時期になります。その中で、一人で物思いにふけながら、軽い運動をするのもいいでしょうし、仲間と友好を深めるためにサイクリング等にとり組むのもいいでしょう。私は、普段一人でリハビリのために歩いています。こんなこと書くのは恥ずかしくて気が引けるのですが、良いパートナーができたら軽い歓談を交えながらこれからの時期に歩き回れたら楽しいだろうなと思っています。